旧412回 日本の宗教神道と世界の宗教における関係の日本での定着率の違いについて
今回はかなり様変わり種の日本の宗教の神道と世界の宗教で仏教は馴染まれてキリスト教などはなぜ日本で苦戦するのかについてのお話です。
それは世界を平和に出来るかどうかの心構えにも関わってくる話でもあります。他者の存在を認めて受け入れられる心構えで寛容な精神が無ければ、その平和の前提条件にはなりませんからね。
それが出来なければ武力支配のみによる偽りの平和しか築けません。
日本の宗教神道と日本にやってきた宗教の代表格の仏教は思いっきり親しまれてキリスト教はかなり苦戦気味の理由についてのお話なのですけども、はっきり言えば多神教と1神教の違いという事があります。
これは複数の神様が存在しているという宗教概念とその宗教において1人しか神様は存在していないという概念の違いによるものですけど、神道は八百万に代表される多神教に該当していて、仏教も仏という意味で多数の神的存在がいるという多神教に分類されます。
対してキリスト教を始めとするイスラム教やユダヤ教は大元が同じという事もあってかこの世界にはただ1人の神が存在しているだけであるという考え方から、他の神的存在を一切認めない宗派が多い状態にあります。
だからこそ仏教は親しまれてキリスト教は未だに強く根付く事難しい状態にあるという事ですね。
それでも仏教も来たばかりの頃は迫害や弾圧をされていましたが、今では神道に交じって仲良い関係になっています。これは日本にやってきた仏教を広める人達が日本の宗教である神道の存在を認めて仲良くやって行こうという心構えで臨んで行ったからだと思われます。(詳細は当人等から聞いたわけではありませんので知りませんが)
ともかく今の時点で仲良く一緒になっているような神道仏教融合系のような状態になっているので、仲良くして行こうとしたから徐々に受け入れられた事だと思われます。
対してキリスト教は多神教の複数の神的存在を許さずにキリスト教の神だけが絶対であり唯一神であるという教えの下に来ている事が多い(当時はそれのみ)ので、神道で馴染んでいる日本人には受け入れにくいものがあったのでしょう。
神道と仏教が仲良くしていたようにキリスト教も存在を認めて寛容に仲良くして行こうとすれば別だったかもしれませんが、教義には唯一神であり1人の神様の存在が絶対であるという教えを貫こうとするあまり仲良くする道を取れなかったが為に現在までも日本での馴染み定着率が低いのでしょう。
ただキリスト教の教えの方に向いた日本人も少なからずいます(今現在でも日本で頑張って布教していますし)が、心から全てキリスト教に染まり切る人は未だに少ないのではないでしょうかね?
それはなぜかと言えば、日本の日常的宗教として溶け込んだ神道の価値観は八百万を代表とされるこの世には数多くの神様が存在していて、万物全てに神が宿るという神道の宗教的考えから見ると、キリスト教などが崇める唯一神も数多くいる神の1人で周りの神様の存在が見えていないだけとか思ってしまったり、普通に八百万に迎え入れた上でキリスト神が1番大事とか思っていたりすると、その状況でもキリスト教に入って教えを乞うような状態が発生する事になるでしょう。
つまり日本人の心根にある神道が他宗教に寛容な精神過ぎて、キリストの神様も信じるという形でキリスト教に入っている人が少なからず存在しているでしょう。要は八百万的数多くいる神様の中でどの神様を1番に大事に思うのかという価値観において、他の神様を切り捨てずに唯一神と言い張っている神様を1番大事だと思っている状態でキリスト教に入っている日本人は居るだろうという感じです。
それは本来のキリスト教信者から見ればよそ者が紛れ込んでいるかのような状況だが、それは日本の日常的宗教である神道の寛容な精神で存在しているという事になり、それすらも排除するような形では絶対に日本で布教を広めることは出来ない問題だという事でもある。
要は他者の存在を認められるかどうかという形になるのだが、宗教においてもその地に根付く宗教を排除する形では支配の形になるので抵抗されやすく受け入れられにくくなる。
逆にその宗教の存在を認めるだけでも、布教におけるハードルは下がり、さらに仲良く共存できる宗教関係の形に出来れば、一気に広まり馴染みある宗教関係に出来るでしょう。
それは押し付けてやらせる事ではなく、気が向いた時にでも一緒にやって行こうとする環境下で共存できる宗教関係となるのです。
現在でも存在は認めているけどもキリスト教などの唯一神系宗教において入る際にその他の存在を認めていないので、神道という宗教が日常の文化になっている日本にはなかなか受け入れられないのである。
そして日本において布教を広くさせる為には、最低でも八百万の神の存在は認めた上でキリスト教の神が1番になるようにという妥協の形にして布教をすれば、今よりも布教の成功率は高くなるでしょう。
それを受け入れられず寛容なく世界平和にも繋がる精神が無いのであれば無理な話なのですがね。
全ての人を同じ宗教の下にさせるにはどうしても他の排除からなる戦争をして殺しまくらないと不可能です。
それは世界平和の為というよりも世界を壊す為の行動としかならないので、言っている事とやっている事が違って世界から排除されてしまう形になります。
しかし他の存在も認めた上で仲良く一緒にやって行こうとする精神があれば、それは世界平和に繋げられる道を築く事も出来る状態になっていくでしょう。
つまり今のキリスト教などの宗教に足りないのは、本当に世界平和の為に仲良くして行こうとする心優しき精神だという事ですね。
宗教や価値観を押し付けるだけでは、それは心優しき精神ではなく自己中心的な精神としか言えませんからね。
それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
日本の日常的宗教神道~終了~仏教やキリスト教
こんな話を今日する理由の1つにまたもや懲りずにキリスト教の方から電話があったことに起因するのですけど、どうやらキリスト教に勧誘できずに失敗した上で何らかの繫がりがある人たちに対して、新任の赴任者が来るたびに再度アタックをする事が通例の行事みたいになっているようですね。
だから懲りずに何度も勧誘系アタックを仕掛けてきて、熱心な日本の日常宗教の神道仏教で行く人には徹底抗戦されて敗戦連発になっているという事なのでしょうね。
さらに私の場合は糸を垂らしてからタコ殴り(言論的)の感じで行っているので、なお質が悪いでしょうね。(笑)
今回も初っ端から勧誘目的感ありありの素人だったので、2,3連撃入れたら速やかに撤退しましたね。
本当にこの付近のキリスト教に情報伝達能力が無いのでしょうか?それとも新任の伝統行事だからわざと試しているのかもしれませんが。 本当にこの地域に来る人はこんな強敵がいて糸垂らして待っているのだから、知らないとはいえ恐ろしいでしょうね。(笑) 私から見て不憫極まりないですが。 END