旧354回 日本と神道について 日本の文化的宗教
今回は日本の日常宗教文化についてのお話です。日本人であっても神道という言葉を知っている人や熱烈な信者はそう多くいないでしょう。別に信者になる必要性は特に無く、日本人が日本人としての最低限の心構えを有しているのなら誰でも既にその心構えは有していると言って良いものですからね。
神道において代表的な指標の1つは八百万の神辺りでしょうか? 超多神教の宗教とも言えますね。(笑) 多分この宗教が世界で1番多数の神様が存在している宗教ではないでしょうか? ギリシャを超絶的に超える数でありますし。しかも言葉では八百万(やおよろず)ですが、現在の状況では軽く超えるでしょう。
何せ全ての物や全ての物事等に神が宿るという教えであり、人すらも神に等しくなれるという他とは全く違う宗教観ですからね。 今回はこの神道に関してより深く語っていきます。
それでは本題の日本の日常宗教神道の話に移ります。神道と言えば八百万の神や万物全てに神が宿るなんて言葉が比較的有名ですけど、全ての神を一様に崇めたり称えたりしているわけではなく、その人が信じる神を好きなように選んで信じたりするという超自由な宗教観です。
そんなわけで、日毎に信じる神様変えたり、場合や状況によって信じる神様変えたりともう超自由状況で、神様への超グローバル状況とも言えますね。(笑)
これを他の神様が存在する宗教が見れば、規律が緩いや意味不明という認識が妥当でしょうけども、それが日本の日常宗教神道の扱いです。だからこそ、その神道を容認して認めてくれる仏教もまた日本の文化的宗教の位置付けに入れたという事でしょう。仏教も神様じゃないけど、そういう祭る対象の数が非常に多いからね。(仏様)
そういう意味も含めて、その他世界で一般的とされるキリストやイスラムは、唯一神や絶対神という神様1人だけという宗教観なので、日本人との相性が悪いという事なのでしょう。というか日本人が成る場合、日常宗教神道残したまま他の宗教に入るという行動が普通に行なわれてそうで、そういう意味も込めて日常に溶け込んだ宗教観の力は強いものを感じるところですね。
だからこその日本人という民族で、日常に神道が溶け込んでいるから、多神教においての考え方で、他も認めやすいという事に繋がり、日本の各地においていろんな宗教が普通に点在するという状況になっているのでしょう。昔は騒動が多かったですが、今では神社も寺も教会も普通に存在していますからね。
この神道という八百万の神についてもう少し簡単な言葉で表していくと、部屋や周りの物全てに神様が存在していて、それを認識して敬うのも雑に扱うのも超自由であり、100や1000ぐらい認識しても自由という状況は、非常におおらかな宗教観です。
これこそが宗教観において世界の人を平和に繋げて行ける宗教にも思えてこないでしょうか? 他の宗教観を一切排する事が無い宗教観ですからね。というか、八百万やもう1億を軽く超えそうな神様が存在する宗教だから、唯一神や絶対神と言い張る神が存在しても何ら不思議ではないという状況で、世界の宗教を繋げる意味合いを持つ宗教としては最も適しているのではないでしょうか?
そして日本においては日常に溶け込んでいる宗教だからこそ、日本に住む事はこの宗教を嫌でも認めなければ、日本人との交流で差異や違いが生じてくる事になる。
さてドラマにもなったぐらい代表的なのはトイレの神様で、商売繁盛や子宝祈願に交通安全の神様なども普通に存在しているわけ(宝くじで七福神とか普通に居ますね? 七福神は様々な宗教の神様集合体)ですが、日本が主に出すゲーム内で普通に神が存在していたり認識されている事に気付いている人は多いでしょうか?
ポピュラーなのは火や水や風に大地といった自然にまつわる神で、良く登場されていますね。
その他日本の伝統的文化の言葉として「もったいない」という言葉にも、神道の影響は強く反映されているでしょう。大事にするという意味が強い言葉ですが、その大事にするにはその物などには神が宿っているという事やそれらに代表される神様に失礼であるなどの言葉が日常的に溶け込んでいるから出てくる言葉なのだと思います。
昔から日本では、長く使った物などには神が宿ると言った言い伝えなどが存在していますから、それも込めてもったいないなどの言葉が強く反映されたり物を大事にするという文化が根強いのでしょう。
そして様々な物に神が宿るからこそ、ちゃんとした供養などや祭りが行われる事が多い。日本の祭りには神を楽しませる事や怒りなどを鎮める意味合いがもたらされている事が多いですからね。
それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
日常的宗教神道~終了~八百万の神