旧740回 子供の日 中学校必要?中高纏めた方が子供の為では?

さて子供の日に因んでというわけでもないですが、関連する話で中学校必要?という話が今日の内容ですね。

小学校6年中学校3年高等学校3年というのはなんかバランスおかしくありません? その後に大学2~4年+αもありますが、なんか大人の都合ばかりで細かく分けられている気がしないでもない分け方ですよね。

 子供の為の教育の場であるはずなのに子供に大変な事を強要する場所であって良いはずがないと思うのですがどうでしょう? こういう文化も基本日本だけですし。海外は初等部と高等部に分けられるだけですし。

日本は小学6年中学3年で高校3年というスタイルですが、海外は初等部と高等部に分かれるだけで、日本で同じようにしたら小学校は変わらず、中学と高校繋げて中高6年でちょうど良いような気がしますよね?

 わざわざ分けるメリットが基本的に存在しませんし、子供にとっても入学や受験に卒業等で受ける負担は増えて学校変えてまた1から新規にやっていくとか人生の無駄遣いにも等しい状況であり、それなら中高纏めた方がまだ楽では?という内容です。

また、これには私が目指すべきと考える教育の新たな概念である学年制自体も無くす方向で見るとちょうど良い形になりますし、分けるメリットがあるのは基本的に大人たちの勝手な都合ばかりで、子供たち側のメリットがほとんどない事を強要するというのは教育ではなく拷問ですよね?

 中高は基本纏める方向で、小学校と同じく6年教育体制(これも少し別枠ですが)として、学校もそれらで区分けする形なら今の少子化にも対応しやすいですし、何なら未来に向けて新たな学校計画の形も組み上げやすいと思いますね。

そして先程から話しにちょこちょこ入れているのは、現在の学校教育の悪い風習である学校牢獄の環境の打破です。学年毎に分けてクラス管理して、人は機械ではないのに同じ速度で教育順序を求めて順位でいじめが頻発させやすいようにして子供を死に追いやろうとする教育がとても正しいとは思えません。

 人の成長速度は千差万別十人十色であり、興味や関心に好きな科目内容等も全員分かれる所でまとめてやって良いと言える教育は生きていく上で必要な生活的基礎教育とマナーやモラル等ですかね。

それ以外の発展形は全部子供がやりたいとした時に教えてあげれば良い物として、大人が強制しても子供の教育にはほぼなりません。むしろ子供の未来にとっては時間の無駄であり、未来の輝かしい功績の邪魔にしかなりません。

だから大学の存在が子供で遊べる最後の場所とかになるのですよ。小中高校時代で無駄な教育を詰め込まされて時間を潰された事によってね。

三角関数が八百屋で野菜を買うのに役立つというのならどうぞ言って見て下さいと言いたいですね。

理科の実験で生物の解剖などを下手に教えるとトラウマになり平気で他の動物も実験で殺そうとする事にも繋がりそうですし、全員に等しく教える事に何の意味があるのか分からない授業が現状の大半ですよね?

化学元素式とかも息を吸う為に必要な知識ですか?それ知らないと生きる事ができませんか?昔の日本や海外の歴史などもはっきり覚えさせる必要性もほぼ無いでしょうし、難しい漢字を覚えさせる意味合いも現在薄いですし、英語なんて最悪翻訳マシンが本格的になったら意味の無い人にとっては最大の時間の無駄ですよね?

 そしてそれらはすべて子供たちにとって向き不向きがあり覚えられる速度は全員違う。

それを学年で分けて同じ速度で教える事に何の意味があるというのでしょうか? そんな教育の無駄をするぐらいなら学年制取っ払って、習熟度のレベルに応じて学校を変えて行ける形にした方が良い気もしますよね。

 だから小学校は基礎教育に専念して、それを学ばせながらも伸ばすべき教育にも力を注げる形を基本軸とし、中高纏めた部分ではその伸ばすべき部分をさらに伸ばしながらも体の成長に合わせた形の教育も取り入れて行ける形にスポーツや運動系にも本格的に取り組めて行ける形として教育の形をはっきりと分けさせた方が教育的には良い物となり得るでしょう。

それで小学校入学も基本的には現在の入学年齢を維持しつつも幼稚園入学が出来るレベルで幼稚園レベルでの一般教養を覚えられたらそのまま小学校に繰り上がる事も出来る(保育園等からも同様の形)形にして、入学年齢も少し引き下げても入れる形とし、子供毎の教育レベルに柔軟に合わせられるようにします。

 そして初等部および高等部の卒業のタイミングも基本的には固定年数ではなく、子供が上がれるレベルになって上がりたいと願えばいつでも上がれるようにして、その際は友達等と一緒に上がる事も出来るようにすれば、ある程度の友達関係を維持しながら勉学にも励める良い環境を作りやすいのではないでしょうかね?

あとは学年の壁取っ払ってクラス分けもほぼ意味を成さない形にして、ある程度自由に覚えて何なら先に入学した子たちに教えてもらう事も出来る環境にした方が子供の勉強環境にとっては良い形にもなりそうですけどね。

 まとめすぎるといじめ等が発生しやすくなり、勉強の習熟度で順位勝手につけられて勉強意欲の阻害にもなってくるので、ある程度同年齢でいろんな子供で仲良くなり関係を作れるようにした方が良いと思いますね。

 あとはそこに大人としての見守りを加えながら、それが大変ならロボットやAI等にも補助してもらうという方向でね。

今回の話は今までの話のまとめに加えて、中高離す必要無いよね?という所と教育学年の壁取っ払うなら小学校よりも前も必要という所を付け加えただけの内容で、本質的な所の変更点は特に無い感じですね。

 子供のいじめの問題等も取り上げられて学校の子供虐殺状況も多いですから、再度取り上げ直した感じの話でもありますね子供の日という事も踏まえてね。

それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。

 子供の日~終了~中学教育の必要性 初等教育&高等教育

初等教育と高等教育で分けた後、それらを卒業して向かう道は就職もしくはより高度な専門学校や研究や開発を主体とした科学者向けの大学に進む形で分けて行った方が良い。

 無駄な教育の時間を大きく省けば、その分相当な遊び時間と好きな事に費やせる時間が増やせるわけですから、それはその時間の量だけ子供の成長を促せる時間となります。

 無駄な教育詰め込んでも子供の未来にとっては何の意味もなく、ついでに経済にとってもマイナス要素でしかないので、さっさと止めるべきですよね。平成のゆとり以上に無駄で意味の無い教育内容は。

 分数の掛け算とか日常生活の何に使えるというのでしょうかねえ?将来は料理人を目指すとかスポーツ選手を目指す場合完全に無駄でしかないと思うのですがねえ?それらの早期習熟を邪魔する要素にしかなり得ませんよね? END

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