旧143回 学校授業における英語の必修性への疑問

この話自体は学校授業の変革系の話で少し話したこともあるのだが、最近この英語の必修に対する必要性が科学の力で薄れてきているので、選択制に戻すべきではないのか?という話だ。

確かに今日本ではグローバル化が盛んで、外国からの観光客等も大量に来たりして普通に街中でも外国語が飛び交うような状況になりつつあるのだが、それとともに科学の力で日本語をそのまま外国語に変換して会話が行えるような機器がどんどん出てき始めている。

 もう少し未来になれば、ウェアラブルなどを利用した自動翻訳機(イヤホン型等)も出てき始めるだろう。このような状況下になりつつある今は、無理に英語を覚える必要性は無いのではないのか?と考える。 タクシーなどでも最近機器を取り入れて日本語と英語のやり取りを機械交えて会話が行えるようにもなってきている。さらには自動多言語翻訳が出来るメガホンなども出てきている。このような時代と科学の進歩している状況下において必修で覚える必要があるものとは思えなくなっている。

 そもそも基本的な学校英語では、会話等には不向きだし。この場合やっている意味が無くなる。 発展させて会話英語を勉強させているところも出てき始めているが、たぶんこれの弊害は最近の子供の日本語力などの低下にも繋がっていると考えられるのだが? まともな日本語でのやり取りが出来ないような教育方法が今の教育のやり方なのだろうか?

日本語と一概にまとめがちだが、今の日本での常用日本語はひらがなとカタカナと漢字が挙げられる。これだけでも3種類の言語が使われているし、さらには組み合わせなどのバリエーションなども複数に渡って使われるケースも多い。(このようにな)

 そのうえで英語まで基本として加えると、どちらかが抜け落ちてしまう例になる事が多くなる。グローバル化が進んでいるとはいえここは日本という国の中であり、日本語を使う人間が多く住む国だ。なのになぜこちらを疎かにしてまでも英語を授業として取り入れようとするのか理解に苦しむ。この日本語と英語では発音形態や見た目がかなり違う事も習得の難しさを上げている要因ではないのかとも考える。日本語はどちらかというと独特な感じで世界基準から見ても難しい言語にあたるだろう。

で、そこに住む人間がその言語を疎かにしてそこで生活が普通に送れるとは言い難いと考えるのだが、どうだろうか?さらに言えば日本語とまとめようとしても、方言やイントネーションで全く違う言葉に変換されてしまう事もあるのが日本語のさらなる難しい所だろう。代表的で分かりにくいのが、沖縄・京都・北海道などだろう。 あとどこかの地方でフランス語に聞こえる方言などもCMでやっていたな。

そもそもこちらの日本語の方を翻訳できる機械が必要な国だというのに、それが出来る気配はまだない。だとすると対処が難しい日本語をもう少し優先的に覚えさせる方が大事なのではないだろうか? 英語や外国語は今や翻訳できる機械は大量に増えてきて普及し始めているし、スマートフォンなどの携帯などでも翻訳できるようになってきている。ならば、必修で覚えさせる意義は果たしてどこにあるというのだろうか? 一部の私営学校では、日本語を話せない日本人の教育が成されたりしていそうだな。確かほとんどの学校での時間を英語でしか話せない場所があったような。

それと暴言を言うが、たとえ習っても本人に使う気が全く無くてそれ系の会社に就くことが無い場所や田舎等で暮らす人にとっては、逆に時間の無駄な浪費になるだろうな。 現に私自身が学校英語は全く覚えていないのだが、ある程度英語が話せるからな。必要と感じてから覚え始める方が圧倒的に習得しやすくなるからな。必修でさせると無理やり感が出て逆に覚えられなくなるから、基本的に日本に住んでいて日常的に使う言語ではないからな。

 私の場合は、知り合い等に外国人が出来たりするケースでのことだ。それまでは全くだったぞ。学校英語も赤点ギリギリだし。(興味ないから) それに必修にさせない方が、逆に英語が覚えられる確率の方が高くなるでしょう。 この状況下で英語を必修で覚えさせようとすることは、子供の人生への無駄遣いに等しいと考えるのだが、どうだろうか?

 というか今の時代は、英語というよりも外国語の方が大事では?最近の外国人観光客での英語が通じないケースも多いよ? 通じない可能性のある英語を無理に覚えさせる必要性はあるのだろうか? 英語が世界共通語という認識も少し陰りを見せ始めている。

それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。

 英語~終了~必修性の疑問

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