旧91回 力を捨てる行為は愚かである 力が無ければ何も始まらない

今回の議題は、力があるから争いを呼び人が大勢亡くなるので力が無い方が幸せになれるなどを考えている人達に対して告げる回である。確かに力があればより大勢の人が亡くなる事にも繋がる事は確かだが、だと言っても力自体が悪であるというような発言は間違いであると私は断言する。力が問題ではない、それを使う人間の考え方によってくるという事だ。

平和に利用したいと願えば平和に、悪事に利用したいと願えば悪事に、争いを起こそうと願えば争いになるという具合に使う人によって質は変わってくる。それに力を捨てたところで争いが無くなるわけではないだろう。現に小さないさかいやケンカ程度の事であれば、普通に日常に存在しているほど普通の出来事として見られるだろう?あの者達はそれほどの力を持ち合わせていなくても争いに発展するのだ。

だから力を捨てる事は愚かな行為だというのだ。それにこの世界で事を成す為には必ず力が必要になってくる。この次の行からそれを解説していく。戦争や争いが何で起こるのかについては以前の授業等で解説しているので、省略する。 キーワードは差別だ。

一概に力と言っても多種多様な力が存在する。普段危険視される力というのは、軍事力や兵器の恐ろしさや恐怖から来る身の危険に迫る力。普通の人が力は必要ないと言ったら大体はこれに当てはまる事が多いだろう。しかしこの力は危険な力であると同時に自分の身を守る為の自衛の力でもあるという事を覚えておいてほしい。

身近な感じで話をすると、護身術というものがある。これは自分の身を守る為の自衛の為の力だ。しかしこれを習得すると、同時に使えない人から見ると頼もしくもあり怖くもあるという事になる。何かあった時には守ってもらえるかもという事もあるだろうけど、同時に刃向ったり何かで衝突する際は自分よりも強いという事が分かる為に恐怖も覚えるという事だ。つまりこの力は力を持たない他者から見れば持っていてほしくない恐怖の危険な力になるが、自分や守る人がいる状況下では自衛の為に必要な力でもあるという事だ。

今世界各国で核ミサイルや爆弾の是非が問題となっているが、持たない国から見れば恐ろしいが、持っている国から見たらそれは自国を守る為の力という事になる。 持たない国は危険だからと排除を勧告するけれども、たとえそれを捨てたとしたとき、捨てた国の防衛力の強化には力を貸すのでしょうか? 今核ミサイルを有している国のほとんどは広い土地と守るべき大量の人達を有しています。そしてそれらを守る為にはそれに見合うほどの防衛力が必要となります。しかし土地が人が多ければ多いほど必要な防衛力も巨大となっていきます。そしてその必要数を減らす意味でも核ミサイルという力は必要なのでしょう。例え無くした時にそれに見合うだけの防衛力が必要とされます。その為には少なからず人の増員も必要となって来るでしょう。核を減らして軍事の関係者をより増やす事が必要になるでしょう。その場合結局はあまり変わらなくなるでしょう。むしろその力を排してしまったがゆえに人の犠牲が必要になってくるというのです。

核ミサイルという力は危険だから捨てろと言うが、捨てても捨てた国の人が犠牲になるというのなら捨てる意味が無くなるでしょう。 それにその力を捨ててしまったが為に戦争に巻き込まれるという可能性もなくはないのですから。

それに核ミサイルがあろうがなかろうが、今もこの時も戦争が世界のどこかで起き続けているのですよ。その上で放棄したら平和が来るなんて根拠が全くない話ではないですか。

 防衛力という面で見れば力は絶対に必要でしょう。だって力が無ければ誰かを守ることが出来ないのですから。それは国だけではなく、普通の出来事でもよくあるでしょう?誰かが事故や危険な目に合いそうな時に力があれば助けることが出来たのに。という事が。こういう面で見るだけでも力があるから危険な目にというのではなく、力が無いから助けられないという事に見られるでしょう。事故等だけではないです。誰かが飢えていたとしましょう。それを助けるだけの力が無ければ助けられないという事です。 この状況下でも力は必要ないと言えますか?無いばかりに人の命を見捨てるという結果に繋がったとしても。

それに戦争などで被害に遭った人を助ける為にも力は必要でしょう。無いと助ける事も出来ないしその人達と同じような状況下に遭う事も考えられる。 人を助ける為という意味でも危険と言われようが力は必要なのです。

それに今存在している物を無かったことにはできません。そして捨てるように言っても全ての人が捨てるとも限りません。ならば既に存在していて相手がそれを所持して人を困らせるのならば、その人達を助けるために被害を出さないためのより強い力というものは必要な事でしょう。

それに大事な事に気付いていますか?日本の国民の皆さん?戦争や争いが発生して現地で困ったり死んでいる人達がいてもそれを助けようとしない行為は、見殺しにしている行為にも等しい事を。きれいごとで戦争はしないと言っていても結局はそれにより人を見殺しにもしているという事を感じておいてください。

だからと言って自衛隊を現地に送るような真似は許されるはずもありませんけど。

さて軍事的な見方で力の解説を主にしてきましたが、力というものは軍事だけではありません。経済力も力です。財力も力。学力なども力。スポーツなどや各種競技や大会などで勝ち上がる為にも力は必要です。そして一番大事な生きる為にも当然力は必要となります。つまり一概に力というだけでは、これらも全てに当てはまってしまうという事です。なれば、人が生きて幸せを謳歌させるためにはなにがしかの力は絶対的に必要な事だと思うのです。つまり力が無ければ何も出来ないし生きる事も出来ないという事になるでしょう。

 それにこういう分野も含めると、過ぎた力を有することも普通に出てくることになるでしょう。当然持て余すほどの力を持つ者もいるでしょうが、その人に力を捨てるように言っても効果は無いでしょう?だってただ力を捨てる行為は不幸でしかないのですから。進んで不幸になろうとしている人はあまりいないでしょうから。

どっかの政党で自衛隊は不要だという馬鹿な政党が存在していますけど、あれだとどこかの海賊等に攻め込まれたら皆さん喜んで死んでくださいと言っているも同然でしょうに。これこそ前にも紹介した日本の性善説を大前提にした話でしょうね。それが世界に通じるわけでもないというのに。スイスとか永世中立を掲げる国でも自国防衛の為にちゃんと自衛の手段を用意しているというのに、アメリカが無条件でこれからも守ってくれるというような事が絶対でない限りは必要な事でしょう。現に今だって直接の戦闘とかにならなければ守る気は無いのだから日本の民の安全を守る為には必要な事でしょう。ほっといたら日本の島の一部を中国とかに武力で奪い取られますよ。

それでもアメリカは動かないでしょうけど。国同士の戦いに発展するまでは。 こういう状況下であるので、自国防衛と平和と安全の為にも日本の国土内に自衛隊は必要なのです。

それでは力についての解説を終わりにさせていただきます。

 ここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。

 全てにおいて~終了~力は必要。

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