旧327回 震災の記憶の風化問題 だが、過去だけ見ていては風化も当然
今回の話は、過去の震災の風化問題についてですけど、日本でもこの近年で数多くの大震災で多くの犠牲者などが出る状況に多く陥っていますけど、それら全部を忘れないように頑張ろうとしたらいずれ毎日が震災記念日みたくなるでしょうね。
そして毎日のようにどこかの震災を思い浮かべてお祈り続ける気でしょうか? まあそんな状況になったら、確実に古い震災から確実に風化して忘れ去られるでしょうね。
そもそもそんな話で言ったらとっくの昔に日本ではほぼ毎日が過去の震災の日に当たる事に気付いていますか? 風化して忘れ去っているでしょうが、過去1000年ぐらいやそれ以前まで遡って見れば、毎日が震災の記念日のような感じで思い更けらなくてはいけないのに、忘れているではないですか?
今の人達が記憶している震災だけ伝えていければそれでよいというのなら良いのですが、後世にも語り継ぐべきと言っている人達がそれより前の震災に関して忘れ去って今の震災被害に塗り替えている状況が、昔を風化させて今を覚えろと言っている矛盾になっている事に気付けている人はどれだけいるのでしょうか? 自分達は自分達が生まれる以前の震災などに関して風化させているのに、自分達が体感した震災は覚えろというのは、言葉として強くない事に気付けますでしょうか? 自分達が被害に遭った震災の方が恐ろしかったから自分たちの震災の事を残すべきだと考える人もいるでしょうが、だとするとそれは過去の震災の人達が受けた恐ろしさは軽かったと軽視している状況に当たるでしょうね。
富士山が噴火した時の被害(確か江戸かその前辺りの時代)はそんなに軽かったでしょうか?それすら忘れ去っている状況で、今の震災の方が酷い状況だとどのように比較して言えるのでしょうか? そもそもその状況が風化されているから比較しようも無いと言ってしまえば、今伝えようとしている事が若者にとっては過去のものである事にも納得するべきなのでは? 震災の被害を過去のものだけにしたくなくて、未来にまで残していきたいと思うのであれば、まず先に自分達が風化させた過去の震災を自分たちが思い出しなおしていく事から始めて考えて行くべき話だと考えます。過去の震災の話を塗り替えていくというのなら、今の人達に残す意味は特にないでしょう。
さらに追撃すると、過去を過去の話で当時の被害状況や悲惨さを語り継ぐだけでは、過去を過去として見て風化していくのは当然の事です。何せ今の人達にはその体感状況が無いわけですし、過去そういう事が起きたから忘れないようにと言われても、今いる未来に関してその人達が役に立つ事がなければ意味の無いただの過去の震災として風化されていくのは当然の事でしょう。
その当時の人達が受けた震災状況を語り継ぐだけでは、昔の震災として記憶されるだけで、風化していくのは当然の流れです。そこに未来に対しての知恵やそこから何を改善して行動していくのかについてまでを合わせて初めてその過去の震災の語り継ぎとして意味を持つのです。
過去を過去として見ているだけでは、今の人達にはその意味が伝わりません。そしてたとえ覚えてもらっても数年くらい経てば忘れ去られて風化へと繋がるでしょう。もしくは覚えたけど昔話として。
未来に繋がる要素がなければその語り継ぎには若者にとって何の意味もない昔話なのです。その事でよく昔の記録として震災の記録を取って残す動きが成されていますが、そこから得られる物が無い物に関しては特に残す意味もないでしょう。
ただ過去の震災を忘れないようにというだけでは、過去の事しか見ていないだけの物になってしまい、今の若者には何の意味も無い物に見られがちです。それをきっかけに何かを生み出したという事まで含めて初めて、その震災の遺物等に意味が生まれるのです。
その意味が今の若者たちにも恩恵が与えられる物でなければ、覚えられることは無いでしょう。過去を過去として見るのでは意味が無い。過去から得る物があって初めてその話に意味が持て、今の人達のも覚えられる語り継ぎになっていくのである。
そうでしょう?昔の震災を忘れてしまって風化させたのも、今のその人達に繋がる恩恵などが無かったから忘れているのでしょうしね。
未来に意味を持って繋げて行かれなければ、その語り継ぎは今の人達には意味が無いただの昔話になってしまうという事です。昔にこういう酷い震災があったから、今これを防ぎ対抗する為の方法があるという話まで繋げられて初めて今の若者にも意味を持って覚えて行こうとできる語り継ぎ話へと昇華させられるのです。
過去だけでは意味が何も無いのです。現金な話だと思うでしょうが、実体験として現金な話でなければあなたたち語り継ごうとしている人も昔の震災を覚えて行こうと思えますか? ただ覚えるだけの震災話をずっと覚えている事がどれだけ大変な事かを理解出来ているのでしょうか?
そして今の時代になって震災の事を知らない人が増えて悲観する震災被災者が多くいますが、時代が流れる過程では当然の状況です。むしろそれで知る人が増える方がありえない話でしょう。この少子高齢化で人口減少が止まらない時では。
だから当然の如くそれを昔話の震災として伝えて行こうとしているだけでは風化されて当然の流れという事です。それを悲観されても、今の人達に何の得にもならず教訓にもならないのでは意味が無い事ですから。
今それで対抗策としているものでも、実際問題として問題の本質を見極めて対抗できる物に昇華出来ているのは数少なく、ただの一時的な対処に時間をかけているのに過ぎないでしょう。
土地を高くしても勢いが高ければ意味が無いでしょうし、堤防高くてもそれを越すほどでは意味が無い。
地震においても土地を高く増設すれば脆くなる可能性も高いし、今になっても地上に大きい物ばかりが乱立する状況で被害を完全に防いでいく事には到底できない。
自然に舐めてかかると、過去の震災よりも酷い被害を受ける可能性が高いでしょうね。
この世に完璧な物など無いのだが、悪あがきに時間をかけるほど無駄な震災対策ほど悪い物も無いでしょう。
碌な対策手段すら見つけられなくて、毎年被害者は大勢発生しているのは、日本全国バカの極みばかりという事でしょうかね。バカヒヨコばかりで政治家でもゴミクズばかりでは仕方のないバカ祭り日本かもしれませんが。
地球環境の変化に対応できる知性を持たざる者は皆バカ扱いという感じですね。人は進化しているのではなく、今も常に退化し続けている可能性が高い。 自然災害などに対して立ち向かうのではなく、逃げの一手ばかりで犠牲者を生み出し続けているから。過去を見るだけでは意味が無いのですよ?
それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
震災の記憶~終了~風化