55回 戦争とは? 戦争の定義

 さて今回は、予告通りに「戦争とは?」という話で進めていくけども、話自体は旧ブログでも同じような事は話しているので、こちらの新情報サイト版のお話という形ですね。 世界では未だに、ウクライナ戦争で、ロシアが侵略攻撃をして、ガザ地区では、イスラエルが虐殺攻撃を続けていますが、ガザ方面は正確には戦争ではなく、ただのイスラエルによる民族虐殺ホロコーストというだけになってますね。

 ガザ方面最初の頃は、ハマスとそれなりに争っていましたが、それでも国家間の戦いではないので、紛争扱いですが、事実上の戦争と同定義されています。 その他のイスラエルとその他の武装集団との争いも、基本的には、戦争ではなく、紛争という名の事実上「戦争」と変わらない物ですね。

 「戦争」の言葉上の定義で言えば、国家間の戦いを「戦争」と呼び、それ以外は基本的に「紛争」という方向で区分け定義されていますが、中身的にはどちらも同じです。 戦い、争っているという状況は変わりませんからね? 英語方面では、warで統一でしょうし? その前後に別の物が付くかもしれませんが…

 ただし、これらの定義に該当する物は、一般的には人同士の形として見られていますが、戦い・争う形で定義されるのであれば、何かが襲ってきた時に、それに対して防ごうと抗った時は、全部戦争の定義と同じ形になるわけで、犯罪などや事故から身を守る行動も、言い換えれば「戦争」であり、自然災害から身を守る行動もまた、「戦争」であると言えてしまうわけですね?

 これらの戦争に値しない状況は、ただ被害を受けて、何もせずに、殺されるだけの状況を言い、本当に戦争をしない、戦争に与する研究などもしないというのは、人を守る為にする物は、全部するなという事にもなるわけです。 大半の物が戦争に何らかの形で使える状況であるだけに、完全に研究段階で切り離すなどは、不可能の状況にある。

 人を癒す事に特化した研究があったとしても、それを介して真逆の方向で見れば、人を傷つける形にも使えてしまう物であり、代表例がですよね? どれだけ万病の特効薬があろうとも、適切な使い方をしなければ、いくらでも「毒」にも「化学兵器」にもなるのがであり、癒す為の技術も、裏に返せば、人を傷つける為の適切な攻撃方法にもなってしまう。

 結局、どこまでいった所で、戦争や攻撃系と研究や行動などを完全に切り離す事は出来ず、それを用いる人たちの心が大事というだけの話です。 「研究」や「道具」それ単体に罪は無く、そこに危険な事や罪を生じさせる物は、全部それを扱う人が決める事になります。 絶対悪とされる核兵器も、正義の使い方をしようと思えば、地球大被害の隕石の破壊には使えるでしょうからね?

 争いや攻撃に類する事は、ほぼすべての状況にあると言えて、それらに大して戦争回避は、ただ何もせずに、攻撃を受けたら死ぬ事をただ良しとする事だけにしかなりません。 少しでもそれが嫌だと、生きようと抵抗した時、それは全て、戦争の定義に当てはまる防衛に当たる事になるわけです。

 日本の自衛隊も、敵国から攻撃を受けて、日本国民を守るべく抵抗したら、それは紛争扱いであり、世界で見れば戦争扱いと同等になります。 戦争をしないというのであれば、敵国から攻撃を受けたら、何もせずに日本国民皆殺しにされるだけの事を言います。もしくは、全員奴隷扱いで、人としての基本的人権など何もなく、ただ使い潰されるだけの状態にされる事を、戦争をしないという事になるので、これを無条件に承服できる日本人は、ほぼいないでしょうね?

 日本でどれだけ、紛争とか防衛とか言った所で、国家間でやり合うのならば、それは戦争であり、日本側は防御に特化した所で、世界から見れば戦争になるわけです。 だって、攻撃に対して抗っているわけですからね? 無条件で皆殺しにされるだけが、戦争をしないという事ですから。

 ただ、どれだけ言った所で、自民党政府や自己保身の強い人たちは、防衛行動や自衛は戦争行為ではないとしきりに言うのでしょうね? 彼のロシアのプーチンのように、特別軍事作戦だとか言って? 日本だと、特別演習とか言うのかな? 戦争系の言葉を使わずに、事実上の戦争をする。

 争いの定義で該当する物は、他にも、先ほども挙げた、自然災害からの防災なども当てはまり、自然災害からの攻撃から身を守り、抗う行動そのものが、攻撃行動から抗う事であり、人と自然との争いの「戦争」であると言えるでしょうね? これも戦争しないというのであれば、津波などに対して、防波堤など作る事自体が、戦争の為の対策に当たるわけですね?

 ある意味それらも、戦争の為の行動であり、耐震化とかも、地震の攻撃に抗う為の物であり、これもまた戦争に対する防衛行動で、人の命を守る為の行動は、全部戦争に類する行動に当たるという事になるわけです。 人の命も、人に役立つ事もしない事が、本当に戦争に関与しない事になるわけで、そんな状況下で、本当に戦争に関与しない事なんてできますかね?

 …よりれっきとした事を言えば、資本主義は戦争であり、誰かと競い合う事も、基本全て戦争の行動定義に当てはまり、スポーツ類は大概戦争だし、何かを購入して物が無くなる事での行動も、戦争に類する行動であるので、人の資本主義状況においてのほぼ全ての行動が、戦争に該当しうる行動だと思う方が良いでしょうね?

 だって、世界では、水の奪い合いでも国家戦争に発展した歴史もあるでしょう? 食料の奪い合いなんて数えるのも面倒になるほどだし、スポーツでもルールを逸脱すれば、たちまち揉み合いの戦争になる事もよくあり、どんな事でも戦うような状況が作られていれば、戦争に繋がっていくのが人間という生き物なのですよ。

 「いじめ」からの殺人行動とかも、学校の勉強で争う形から生まれる事もありますよね? 誰かと順位を競う形も、言い換えれば、争いであり、戦争であると言えるので、人の行動の大半は、戦争と切っても切れない状況にあるわけです。

 その中で、人を傷つける戦争はいけないとした所で、それなら、人を殴ったり蹴ったりして戦うスポーツ類は、全面禁止でよろしいですか? もちろん日本の国技とされる相撲も完全禁止でよろしいですよね?という話になってくるわけで、完全なる戦争のない世界なんて、そもそも不可能なのですよ。

 というか、戦争に類する争い事が無ければ、人は人として生きる意味も無くなってしまうのでは? 争う行動の心全てを無くせば、スポーツは消え去り、ゲーム類も消え去り、勉強なども消えて、ただ食べて寝るだけで、生きる事だけを謳歌する無気力人間しかいなくなりますよ。 大半の行動が争いに繋がる行動ですからね?

 それで結局の所、人が不幸になるという国家間などの人殺し大戦争を防ぐ為にはどうするのが良いのか?と聞かれれば、世界の全ての国が認める完全中立の世界の警察と裁判所を作り上げて、それを認めない国や集団は、問答無用で根絶やしに滅ぼし尽くせばよいだけです。 結局そこで大戦争に繋がるわけですが、ルールを守らない奴らを粛正しないと、それ以上の被害は作られるわけで、絶対的に必要な世界平和に至る為の犠牲ですね。

 ま、人同士でこれをやろうとすると、認めない奴ら殲滅になるだけですが、高性能無人兵器を使える状況でならば、認めない奴らを全員生かしたままで、捕縛する形に切り替えれば、血の粛清は無く、無血平和に至る為の形は作れるでしょうね? その上で、世界の絶対的な中立警察&裁判所機関で、平和的解決になるように動き、守らない奴は捕縛していくという方向にすればよい。

 つまり、国際ルールを無視するような、今のトランプやプーチンに習近平などは、全員国際警察に捕縛されて、無期懲役辺りが妥当になるような仕組みが必要と。 そう言う仕組みが、世界平和には大前提で必要になると言った所が、今回の話の落とし所ですかね?

 戦争は防げないけども、それに対する明確なルールの決まりが必要という事です。 世界秩序を守れるようにする事が、殺し合いの戦争を無くす為に必要という事です。 スポーツも秩序というルールがあるから平和的であるものの、秩序を外せば、ただの戦争でしかない物ばかりですからね? 特に格闘技全般。

 …人同士の殴り合いを楽しむとか、人殺しの戦争を楽しむ一歩前の行動にしか思えませんがね? 秩序があっても、それは戦争と何が違うの?と言いたくなるレベルでね? それで国際試合?国家間の戦争ですか? 秩序というルールにて、戦争ではないと思い込むだけで。

それでは、ここまで見て頂きまして誠にありがとうございます ~終了~

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