旧634回 再度問おう…オリンピックとは、誰が為の祭りだ?
さて今回は、迷走・混乱・しっちゃかめっちゃかな五輪の森大火災から五輪の存在意義すらも危機的状況になっている件についての話ですね。
五輪は開催する事が最大の意義ではなく、そこに参加する不安のないアスリートが競い合えることが大事であり、開催すれば他はどうでもよいという事は、オリンピック自体にとって本末転倒の意見である。
だからこそ日本のバカ共に問いたいのは、オリンピックとは、誰が為の祭りだ?
開催の事しか眼中になくて参加者であるアスリートたちの事を二の次以降に捉えた時、それは五輪を開催するのはいけない事のようにも思えてくるのですけどね。
今の日本の開催優先のバカ共は三の次以降ぐらいに捉えている節が大いにありますが。
アスリートが安心して本領発揮できない五輪に開催する意義は無いと思うのですけどね。
差別問題はそれに大いに影響を与えるマイナス要素である。
コロナに関しても大いに影響を与える要素ではありますけども、そこはどうにかしようとすれば出来なくはないけど、日本が男尊女卑で女性差別の激しい国だという事を払拭できなければ、それを不安視して満足に競技に挑めなくなるマイナス要素が出てきて、それでは本来のオリンピックにはならないから本来の意味の開催する意義はあるのか?という感じの内容ですね。
それでは本題の五輪の森大火災からオリパラピックの基本理念の差別のない形の話として参ります。
まず森会長は本当に辞任したようですね。理事たちに辞めさせる意思が無くて、全世界からの猛バッシングに小池都知事の反乱やスポンサーたちの裏切りによって、このままでは五輪開催自体に悪影響があると考えて辞任するしか収める方法が無いと考えての行動だったようですが、本来であれば五輪委員会の理事たちが辞めさせるのが必要な話だったのですが独裁者に逆らえない犬たちと化していたようですからね。
ちなみに海外の報道ではスポンサー企業や放送企業からの放映権でお金が1番大きく響いて、お金の為に辞任したという報道になっているようですね。
スポンサーたちの裏切りの直後ですから、そう思われても仕方ありませんよね。
それで後任人事の件で、また大騒動が巻き起こっているようで、最新の報道では森会長が独断で決めていた五輪委員会の評議長が辞退を申し出ているという一報があったようですが、詳しい真偽は不明ですね。
選ぶ決め方がえらくブラックボックスで、森会長の独断による選び方という事で、あらゆる面の問題行為に引っかかり、これは海外からもさらに批判される状況が構築されるという事で、1日にして森の野望が落城せしめんとする状況になっていますね。
その森の野望自体も会長を挿げ替えて自分は裏で直接実験握りながら元のまま力を振るえるようにするという会長辞めて実質副会長になります的な話であり、委員会体質自体に何の変化も起きない変わり身辞任行動で、結局それで残るのでは何の意味もない状況で、本当にここに来ても変わらず自分が犯した罪に何の責任も抱く事無く、オリンピックを自分の為だけに私物化しようとしての行動にしか思えませんね。
オリンピックの悪霊ですか?誰か退魔師呼んで来てもらえます?という風に思ってしまえる。
あと森会長お気に入りのお友達後任の現五輪委員会評議長も思っている事がどんどん口から出るようで、次の会長になるためには言ってはいけない発言も報道人達の前でペラペラしゃべっていたようで、森会長の女性蔑視の内容を心根では完全支持するような言葉が立て続けに飛び出して、この人もやっぱりという感じが前面に出てきていて、そこはお友達を立てるよりも問題に対しては厳しく当たる態度が示せなかった時点で、同類項でしかないという状況が形作られてしまいましたね。
本人自体は当初辞めたがっていたようですから、それも踏まえて報道人達の前で話していたとするならば、相当な策士だという認識にもなるのですけどね。その辺の真偽は解明不可能ですが。
そしてここに来て禁忌の政治乱入まで出てきて、さらに混迷の度合いが高まってきていますが、基本的にオリンピックに対して、政治が介入する事は禁止されていますので、与野党ともに今の動きはオリンピック開催を中止にせしめん動きである事は理解出来ていないのでしょうね。
後任を選ぶ人事は五輪委員会内部で決める事であり、五輪を問題なく開催させる為の能力の必要性と共に今の問題に対して解決を図り解消していく為の透明性のある人事の形を今の理事たちに求められる事になりますね。
それすらも出来ないというのならば今の理事たちも全員1度辞任しなくてはいけない形にさせて、再度国民監視の下、適切に新たな理事&会長選出の形を早期に行なって行く形が必要になってくるでしょうね。
そこで理事のメンバー構成はなるべく男女比の差が無い形にさせて、会長選出に関してもある程度票が割れる形が望ましく、1人で必要な能力に満たす人が居ない場合は複数人の共同会長の形を理事たちの中から選び出して行くスタイルで決めていく形で、さらに世界も納得させやすいようになるべく男女比無い偶数の共同会長の形で、差別無きアスリート優先の五輪開催に全力を持って当たってもらう形に出来れば良いと思いますね。
共同会長の人数的には、2人体制か4人体制辺りならば、開催に必要な能力も埋められるのではないでしょうかね? 1人で出来るほどの逸材がいないのであれば無理に1人に任せる形ではなく、男女共に支え合って五輪開催に目指して行ける新たな開催を目指す形を作っていく方向を出してみるというのは、今の問題に対しての解決策にも近づけるのではないでしょうかね?
能力も確保できて男女平等の形を目に見えて作り出せる意味では、理事たちによる共同会長の形は今の状況に対して良い方法だとも思えるのですけどね。
理事になれるだけの力があるのならば、共に支え合って開催を目指して行く形ならば、必要能力に足るメンバーは確保できるはずですよね?
差別論理主義者達に汚れた五輪をくれてやる必要性はどこにも無いと思うのですけどね。
奴らが望むのは東京五輪開催の栄誉だけですからね。アスリートが1人も参加していなくても東京五輪開催さえできればそれで満足とする五輪私物化の差別論理主義者に五輪を渡してはいけません。
最後の最後でも問題に対して何が悪い事なのかを理解する事すらしようとしないというのは、オリンピックに関わる人として1番始めの基本基準に満たしていないという事になりますからね。
それ以降のどれだけ高い能力があろうとも、どれだけの実績があろうとも、これからのオリンピックに対して大犯罪者に足り得る存在にオリンピックに関わって欲しくはありませんね。
これをさらに分かりやすく言うなら、警察官の中に分かりやすく持っている拳銃使って民間人を殺しまくりながらも警察官で居続けられて、他の警察官は逮捕する行動をしようともしていない状況で、その民間人大虐殺の警察官こそが真の警察官だと認めさせようとしている内容と同じですね。
そいつのどこが警察官だと言えるのか?という分かりやすい話です。
そして前置きに戻ってきて、オリンピック(パラリンピック)とは、誰が為の祭りであるのか?
それは五輪開催の会長の物でも政治の物でもなく、全てのアスリートたちに対しての祭りであると私は思う。
アスリートの存在無くしてオリンピックはオリンピック足らしめん存在であると言え、アスリートがあらゆる差別で不利益や競技のマイナス面無く競技に挑める環境こそがオリンピックであると言え、それらに対して不安要素で精神面的に悪くさせて安心して競技に挑めないような事が発生する状況は、どんな世界的英雄の行動でも決して許してはいけない行動だと思う物である。
それは英雄の為の祭りでもなく、アスリートたちの為の祭りなのだから。誰が1番優先されるべきなのかを見れば、それは参加して競技に挑むアスリートたちにあると言って過言ではないだろう。
それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
五輪の森大火災~終了~オリンピックアスリート
たとえ誰がなんと言おうとも私が思う形では、汚れたオリンピック(性差別汚染)になるのなら五輪開催を中止させる方が五輪の基本精神的には、最善の行動でもあると思えるのですけどね。
開催だけを前のめりに見る行為は、それもまた五輪の基本精神から逸脱しているように思えますね。
特にその傾向が強かったのは今日のミヤネ屋メンバーたちですけど。
私は彼らにも問いたい、オリンピックとは、誰が為の祭りだ? オリンピックという物は日本単体が開催出来れば満足して私物化して良いものではない、五輪の意味すらも忘れて、ただ日本での開催だけに妄執する行為は、五輪の存在意義を忘れているとしか思えない身勝手な判断だ。
五輪は地球上の各大陸を表している物であるからね。これにいつか南極が国として成立して加わったりすると、六輪になったりするのかな? END