旧60回 今の教育 子供に無駄なこと教えすぎ そして必要な事は教えなさすぎ 前半

今回は昔のリメイクでお届けいたします。

 まず無駄な事、これから自立するにあたり必要では無い事に時間をかけて覚えさせようとしていること。数学が顕著 分数や面積の計り方や、体積の求め方は社会人の方でやり方をはっきり覚えている方はいますか?学生時代覚えなければいけない事だったのに。そして社会人になってから役に立ったことはありますか?(普通の日常を送るうえで)

必要な事は、政治に関して。政治をいつまでもお年寄りだけが国を治めるというのはおかしくないですか? 周りをしっかりさせるのはお年寄りでもいいのですが、そのリーダーまでお年寄り(今の総理は若い方)では、社会全体がお年寄りの為の政治に持って行かれがちになるというものです。

 やはり国を導くリーダー的立場には多少の若さも存在しないと、新しい風を吹かすことは難しくなるでしょう。その為の若いうちから政治に近づける事が必要なのですよ。民主主義国家であれば当然の事です。独裁国家であれば今の教育方針でよいのですが。必要ないでしょ。今の総理の邪魔になるような存在を育てようとする行為は。

 というような方針のもとにこれから話を進めていきたいと思います。

要するに、今までの戦後からの教育方針全てが民主主義ではなく、さらに無駄な事まで教えて人生の貴重な時間までを奪う間違ったやり方の元にされてきたと言いたいわけです。

 つまり私は今の教育方針のほとんどを否定する発言だというわけです。もちろん教え方が悪いとかの意味合いではなく、ただ単に必要では無い事までを必ず覚えるようにしたり、民主主義的な自由を奪うような事をしたことについてほとんどと言っているわけです。つまり根底が間違っていると。

私の考えでは、小学校の低学年で基礎的な所を遊びも交えて教えていき、高学年に入ったら基礎から少し難しくなるような内容に入るか、それとも基礎教科の別の範囲(国語なら古文の簡単なとことか、社会なら世界の過去のピックアップや現代の事についてとか、数学(算数?)だったら実際の働く現場に交えての授業にしたりとかの辺り)に行くかを選ぶようにさせて、中学は1年で中学の基礎の部分だけをやらせて、2・3年は基礎が残っていれば少しと、あとはほとんど選択制にする。こちらも大体は基礎教科の難しい系か、他の教科にするなど。勉強が好きなら教科で運動が好きなら体育で分けたりとかをして、この辺りから自分が将来めざしたい所を徐々に意識させていく感じにした方が良い。

そして高校は、1年次は高校の基礎があるのなら2学期くらいまでをして、3学期から2・3年は進路に向けた内容の授業を選択で選ばせていく。高校では要は、大学みたいな感じで授業をやっていく感じにする。

 そして私のようなやり方で行くと、大学の存在価値が少し薄れる。基本的に大学でやらすことは、その人の専門的な分野を伸ばすことだけに注視してほしいからだ。つまりその人が好きな学科以外は全部無くしても良い。そういう部分は全て高校までで終わらすようにするから。

 つまり学校の教科ごとの専門学校の集合体のような形にすればよい。それに合わせて卒業に必要な単位を教える教科の回数に応じた形の物に数を抑える形にすればよい。つまりその人が学びたいことだけを学べたら卒業ができるようにする。無駄な事にまで時間を使わせる必要はないだろう?

小・中・(高)で最低限の教える所は、社会に出てから必要になる事(基本的に生きていくにあたって必要な範囲)を教えて、それ以外の範囲(その教科のより専門的な分野)は全部、難しいところまで覚えたいという選択の所に持っていく。

 国語だと漢字を1つ1つ全部しっかり覚えさせていくような感じではなく(低学年の基礎的な漢字は除いて)、文章や物語を進めていく最中とかで出てきた漢字を1つ適当に挙げて読めなかったり知らなかった場合は、事典やネット等で少しの間(1~2分 次々行くなら15~30秒くらい)調べさせて、それをテストや小テストなどで出していき自発的に覚えさせるようにする。

自分で覚えなければいつまでも事典等で調べなくてはいけない時間が出来たり、覚えないようにしたらテストでの点が悪くなったりするのであれば、覚えるようにする確率が高くなる。そしたら授業で躓かないように自発的に調べて覚えたりもすることが増えてくる。

数学だと先にも述べたように分数などの日常社会では普段使わない事の辺りを全て排除させる。スーパーで台形の範囲を計ったり、容量を計ったり分数計算をするような場面を私は見たことありませんけど、皆さんはありますか?普通の日常のスーパーとかコンビニとかで? あと言う事は、リンゴを1/3と梨を1/3足してもリンゴ2/3になったりはしませんよ?どっちも1/3のままです。さらにこんな場面で×とはどう配合させる気だろうか?店の商品を。

理科は解剖等の嫌がる人は嫌がる内容や、面倒になってくるタイプの実験等を難しい内容に回して、理科を楽しくさせるような授業内容に最初の頃は重視させる。 ついでに、元素の記号等も全部覚えさせる必要は無く(社会の中で普段目にする記号なら良いが、普段目にすることが無い記号とかまで覚えさせる必要は無い)、意味が分かるようにすれば良い。

社会は現代で生きていくための知識と日本の過去の代表的なところ辺りを少しという感じかな。込み入った辺りはほぼ全て難しい内容の方へ回して、世界史や日本の歴史・地球の歴史の深い部分なんかとかも選択の方へ回す。

英語はまだ発音の練習とかも必要になるかもだが、便利な機械で自動通訳機も出てき始めているから、もう少ししたら発音(会話等)の授業は選択に回す形にするべきかな。 するべきことは単語等を覚える事になる。最悪全てを完全翻訳(発音や文法等まで)できるような機械が出てきたら、英語や外国語も選択にして基礎教科から外すことも視野に入れた方が良くなる。

他の音楽や体育等も基本的には楽しい部分等を基礎の辺りでして、選択の辺りの部分は各音楽の分野や各競技の分野の詳しい当たりの事を教えたりするような感じで行くと良い。(全部範囲を書いていくときりがなくなるためここらで)

基本的な所を減らしたうえで、学生の自主性を上げるための授業「自由時間」を科目に入れるのはどうだろうか?その名の通り自由時間で、学校に出る事以外は何をしても良い時間とする。できるだけ学校単位でこの時間を統一できると良い。つまり学年やクラスを問わずにその時間だけは自由にする時間とする授業にする。

 何をしても良いとは、自習や復習をするもよし先生に授業などで分からない場所等を聞くもよし、遊ぶもよし寝るもよしという感じで何でも良しとする。(中学とかなら先生の同伴でなら外出も可能としても良い)

そしてその間先生は、何か問題等が起きていないかなどの見回りをすることをすればよい。それを様々な先生が一斉にとか代わる代わるなどで行えば、生徒がどんな感じなのかを学校全体で知る良い時間にもなる。 あえて授業で教えるだけの時間ではなく、授業という事で自分ですることを思わせるようにするこのやり方で生徒の自主性を上げようというわけだ。

そして必要な範囲に新たに加えたい政治だが、これは小学高学年から中学までの辺りで基礎としてやり、高校では選択の範囲の中で分野で分かれるが政治の科目であるものを必ず受けさせるようにする。 政治に関しては、昔の政治や今の政治の具合などを分かりやすく伝えて教えていく感じにして、疑似選挙や疑似討論なども授業で取り入れていく。中学3年とかや高校では、世界の政治や今の政治のより詳しいところなどを選択等で分けたりしながら教えていく。

こうやって若いうちから政治や選挙などにも関心や知識力を高めていく事にする。今の全く触れてすらいないようなこの状況は、民主主義としてはあるまじき教育環境という事だ。教育環境の理念は日本が帝国独裁の時から変わってはいないのではないのか? だから独裁教育である今の今でも誰も文句を言わないという事が普通と思えているわけだ。

さて言い足りない事はまだある可能性もあるが、話がかなり長くなってきたのでここらで話を切り上げようと思う。まとめで言う事は、無駄な授業で貴重な人生100年位の時間の少し浪費をせずに、必要な所でまとめて授業を絞り、今の民主主義に必要な政治を教える事を取り入れていく事が、日本の民主主義を教育環境を正常に持っていく事だと私は考える。

 さて今回はかなり長い事話したが、ここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。ちなみにこのやり方だと、先生側の負担もかなり軽減されるやり方となる。 授業の無駄~終了~人生の無駄

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