旧529回 子供の宿題「自由研究」 だが現状は無意味な強制研究
今回はこの時期の最近の報道でもたまに話題に挙がる子供の自由研究についての必要性や意味に関しての話をしていきます。
本来自由であるべき研究課題を宿題として強制させる行為自体が自由研究には当てはまらず、また短期間で結果を求められる事に果たして研究の意味があるのか?という事に関しても話して行く予定です。
本題の今は子供の夏休みの宿題の1つにされている自由研究についての話ですけども、現状は子供たちに対して自由な研究で様々な知識や体験を知ってもらうという意味から親も強制参加で宿題だからやらなくてはいけないという強制の意味が強い研究になっている印象があり、様々なキットの登場や代行の登場などで、その存在の意味自体も危ぶまれている状況にありますね。
そもそも自由研究というものを夏休みの間だけで完結させなくてはいけないというルール付けをしている時点で、本来の自由研究という言葉の意味から反している状況で、宿題として強制的にやらなければいけないという事から本来の自由研究の趣旨からも外れている状況にあり、今のまま続けさせても特に意味は無いと考えますね。
それに自由研究に関して国はやる事自体を必修とさせていないようで、それをやらなければいけない必修にさせているのは各学校の方にあるという事で、厳しい制限化で無駄な事をさせている状況にあると言えるでしょうね。
これを基礎研究の話に当てはめると、基礎研究をバカにしているとか言われる内容に当たり、夏休みの1ヶ月くらいで完成した研究結果を求められるとか、今の横暴国家(日本)が求める研究期間並みに少ない状況であり、研究と呼ばれる物があたかも短期間で済む物ばかりと錯覚させてしまう状況にあるのは由々しき問題にあると考える。
それが国にも波及しているのであれば、総じて日本の研究状況における問題が幼い時から発生している事になる。
普通の研究でも数ヶ月かかる事は普通であり、研究という事は発展途上でも研究中で該当される事で、研究が必ずしも成功するだけとは限らない事も覚えさせる必要の意味もあるとすれば、簡単な成功体験だけしか与えない研究に何の意味があるのでしょうかね?
それもかなりの部分で親が補助し大部分を親がしている状況で、子供の自由研究という枠組みからは既に大きく逸脱しているようにも思えますね。
さらに言えば、自由研究と称している割に夏休みの期間だけに絞る行為もどうかと考えますね。
時期的状況が夏休みの長い間が最適だろうという思惑は理解しますが、本来の自由研究の意味では子供に様々な自己欲求の形から疑問などに関して自己研究を自由にしてもらって様々な知識を得て体験をしてもらって学習や興味を持ってもらうという事のはずですが、それを夏休みだけに絞らせるというのは、その時点で自由ではないでしょうね。
本当に自由にしたいのならば、1年の間で自由に自分の興味のある事に対して研究してもらって、研究途中でも良いので自由に発表する状況が良いのではないでしょうかね?
そして研究課題によっては、数年掛かりでやっても良い状況として最後まで研究続きでも良いという事にすれば、それも立派な自由研究に該当して、夏休みだけの物よりも有意義な自己研究の形にもなりやすいのではないでしょうかね。
そして自由であるからこそやりたくなければやらなくても良いけど、やった分に関してはその状況に応じて褒められ、その研究の詳しい分野の話が出来る機会や深く研究していける状況が作られて己の強みを高めて行ける形になるのなら、それは何らかの形でやる事に対して意味ができ、本来の自由研究の学習の意味合い性が高められる事になるのではないでしょうかね。
人によって何かに興味を持つ時期はバラバラなのですから、無理やりやらせても時間の無駄になる可能性も高いというものですよ。
そして親はあくまで子供が研究したい事のサポートに努めさせる程度に留める事も必要ですね。親が出しゃばっても子供の為には決してなりませんからね。
だとすれば自由研究と呼ばれる物は必ず1つでなくてはいけないという決まりも無いでしょうね。
1度に複数やっても良いでしょうし、途中で切り換えても良いでしょう。さらに研究する時期が夏以外でも良いという所でなら、より様々な時期の研究や年間を通す形で研究等もさせる事ができ、必ずの結果を求めない形であればさらなる発展へと進ませやすく、いろいろな事への興味や体験に進ませて行かせる事も出来る。
なので、短期間打ち止め式の強制研究よりも期間も自由に研究途中の方がさらに可能性を高められる形の方が子供に対しての様々な知識の習得や興味を持ってもらう事に関しては効果的な学習方法になるのではないでしょうかね?
その時に1番好きな事に関して自分で研究しながらも続けていっていろいろ勉強していく事で、その事を記録に残して行き提出するという感じでも立派に自由研究になると思いますけどね。
その時に1番好きな事であれば、研究と言っても嫌な気分無しに出来るでしょ?
その状況で知り得た知識や結果どうなって行ったのか等を記録に留めさせて、そこからさらに発展させて、その状況自体も自由研究に当てはまる状況となるでしょうね。自分が体験して得た知識という意味ではね。
そういう風に考えると、実は自由研究というのはとても簡単な内容でもありますね。
ただ、そうさせない強制的で自由を阻害する枠組みでがんじがらめにされた宿題の物が多いだけでね。
本当の自由研究としての教育をさせないのが、今の強制的宿題の自由研究となりますね。
短期結果主義の社会が自由研究の形も歪めているのでしょうね。それでは本当に良いとされる研究はほとんど成功しないというのに。
今の日本の研究成功者たちも長い年月の基礎研究等から成功しているケースが多いというのに、今の日本政府は短期結果主義の形で世界的な成功研究を潰そうとしている状況にあり、それに警鐘を鳴らす日本の研究家は多い状況にありますね。 研究というものは短期だけでは成功を成し得ないものであるからね。
ついでに言えば失敗の先に成功がある事も多いので、成功しかない研究には意味が無いとも言えますね。
失敗の先に学ぶ物が必ずあるのが研究ですから、子供の自由研究でも失敗のその先を学習させていく形が必要であると思いますね。
それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
夏休みの宿題~終了~自由研究