旧445回 日本の法律体系のダメな点~自白絶対主義は現在の拷問制度~

今回はゴーン氏絡みの件と大阪で起きた冤罪事件においての件を絡んでの話になります。

それに加えて、日本が今も続けている自白絶対主義についての批判や様々な法律や警察の体制についても諸々合わせて批判していく内容にします。

日本では今も過酷な拷問が繰り返されているという現実の話をね。

容疑者状態で取り調べに弁護士等が付かない状況というのは、見方を変えてみれば現代の拷問と見る事も出来ます。だって警察側が複数でやりたい放題追求などしまくれる状況というわけで、それを正常にさせる要素は警察側にしかないというのは、容疑者の段階なのに犯人確定とされて人権剥奪されて拷問を受けている状況とあまり変わりがないように見受けられるのですからね。

 それを警察側が否定しようとも、証拠となり得るのが警察の主張のみの段階では、それを拷問とは言えないという根拠がどこにも無くなるわけで、現に今の状況でも警察の自白絶対主義の名の下どうにかして罪を認めさせるように仕向けて、物的証拠など無くても重い罪に仕立て上げられる状況が未だに残っており、これで法治国家を名乗れるのは甚だ遺憾な状態にあると言えるでしょうね。

 何せ取り調べで拷問と同じような事をしても、その証拠を握っているのは同じ警察官だけで、事実を捻じ曲げて自白に追い込む為に物理的な拷問や精神を摩耗させて心身衰弱状態にさせて自白に追い込むなんて普通に出来る状況にあり、それで追い込む事が出来る状態で警察の証拠だけというのは、あまりにも警察の無法が過ぎる状態が残り続けているのではないでしょうかね?

基本は弁護士が最適ではありますが、最低でも中立性を持って取り調べが成されている事を証明できるように取り調べ専用の第3者機関の報道記者を最低でも2社ぐらいは取り調べの際に必ず付けるぐらいは必要なのではないでしょうかね? それぐらいできなければ、容疑者に対する人としての人権は守られなくなる可能性が高いと言えますし、警察官が行う非人道な拷問は無くならないでしょうからね。

そして拘置所の扱いの件は、犯人確定ではなく容疑者の段階の待遇としては、人権をあまりにも無視し続けて、容疑者に対する段階としてはそれも一種の精神的な拷問を常に科している状態と同じだと言えるでしょうね。 

つまり今の容疑者に対する取り調べの体系は、自白絶対主義の名の下における非人道な拷問体質にあると言っても差し支えないでしょう。

だからこそ世界が日本のやり方に異議を唱えているという事もあるのでしょうね。未だに拷問取り調べが日常的に行なわれている無法さに対してね。

大阪の冤罪事件に関しての話ですが、これは地方ニュースに該当するでしょうから他の地域の人は知らない可能性が高いのですが、内容としては強姦罪の冤罪で逮捕されて懲役刑12年ぐらいが確定して牢に入れられて、その後確実な無罪が確定して出られたのですが、その際の慰謝料などの請求を大阪地裁に完全否定されて、冤罪で捕まったのに何も国から補償されずに打ち捨てられる事が起きたという内容が大筋の話で、冤罪に至る状況は被害者とされた少女の話が完全に嘘偽りであり、被害の絶対証拠が何もない状況で警察側が少女の話だけを鵜呑みにして冤罪逮捕で裁判にかけて、裁判所側も冤罪者の話には一切耳を傾ける事無くこれまた被害者とされた少女の話だけで懲役刑を下したという自白のパターンとよく似た証拠が何も無くても言葉だけで罪が勝手に決められる状況の法律状況であるとの現実問題が発生したというのに、その物的証拠や状況証拠を何も捜査せずに逮捕から懲役刑確定のプロセスには何も裁判所として誤りはなかったと自分たちの罪を認めない大阪地裁の話です。

つまりこれは被害者とされた嘘つき少女の言葉だけで、罪が勝手に確定されて冤罪が発生した事例なのに、そのプロセスに何の誤りも無いとする警察や裁判所の形には無法としか言いようがない状況としか言えないでしょうね。というか権力乱用で罪もない人を強引に犯罪者に仕立て上げている状況はおかしくないと言っているわけですよ、今の司法は。

これが無法状況と言わずに何を無法というのでしょうかね? そしてその嘘つき少女には何の罰則も無く、平然と過ごせている状況というのは、本当の加害者は罰せられないのに罪もない人が一方的に逮捕されて懲役刑にされている現実があるという事になります。

 それは拷問による自白の体系でも同じ事であり、今の日本では未だに証拠品よりも自白や言葉だけの方が強いという不確かな内容が強い状況にあり、法律体系は無法に近い状態で残り続けていると言えるでしょう。

 だからこその警察の逮捕の後の罪確定率にも繋がっているのかもしれませんね。物的証拠が何も無くても無理やりに言葉や自白だけで重い罪が確定させられるから、拷問をしてでも自白に追い込み嘘偽りでも罪に確定できるならそれでよいとする最低な状況が続いているからの状況とも言えるのでしょうね。

日本では違法に警察機構が人権を奪っていて、拷問が繰り返されているからこのような冤罪事件や世界からも批判される状況になっていると言えるのでしょうね。

 拷問を正当化する日本は世界の法治状況から見て非人道な状況に近いと言えるでしょうね。そして冤罪事件において真の加害者を罰しないというのは、警察機構や裁判所が犯罪者の支援をしている事と同じだと言えますね。 

だからその余波が様々な所で社会の問題として出てくる事になるわけなのですがね。全ては犯罪者が犯罪を行ない易いように作り出している国や警察に裁判所などのせいでね。

そうでしょう?主に警察がそれを罪と認めなければ犯罪として認知されないのなら、違法に犯罪を隠す事だってやりたい放題なわけですからね。 状況によっては需要と供給に仲介まとめて叩いていく事も必要な事が多いのですよ。どれか1つや2つだけを叩いても犯罪は無くならないのですからね。そこから逃げ伸びて被害者と位置付けられた奴がまた同じ事をする可能性が無いわけではないのですからね。完全な被害者でない限りはね。

それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。

 自白絶対主義~終了~拷問取り調べ制度

今の日本式拷問取り調べは普通に繰り返されていますよね。1人を相手に袋叩きにする構図でやっているのですから、そりゃあね。それでいて自白強要や自白のでっち上げを警察が狙っているというのは普通に酷い状況で、警察の本来の職務放棄による無法状態とも言える状況にあるでしょうね。

 それでいてドラマなどでよくあるかつ丼とかの状況は今も昔もあったかどうかは定かではありませんが、あれも内容よく観察してみると拷問ですからね。自白しないと食わせないとかは普通に人権的にも非人道な拷問になります。警察があわよくば餓死を狙っているとも思える行動ですからね。

もしくは心身衰弱状態(飢餓による)に追い込んで自白強要拷問の形ですから、普通に人権無視しています。

これと同じように恫喝などで脅したりする行為や行動を制限する行為(飲食の自由やトイレ等)は拷問に完全に分類されるでしょうし、それを避ける為の方法を取っていないのは、警察の取り調べによる拷問を正当化している状況にあると言って良いと言えるでしょう。 END

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