旧389回 たかじん委員会 異常気象&防災編 防災省の在り方
今回はたかじん委員会の話で参ります。内容は異常気象と防災&防災省についての話が中心でしたね。
異常気象って今よく言われますけど、これが現状ここ数年間は普通に毎年のように起きていますし、それを異常気象と言って対策はどうでも良いみたいに受け止めようとするのを止めた方が良いでしょうね。
だから毎回多数の死者行方不明者が出るのですよ。これは防災に関しても言える話ですけどね。安倍政権は特にやる気無いようですね。死者が大勢発生してからようやく腰を上げようかといった行動ですし。国民の危機には放置が基本?
異常気象と防災に関しての話ですけども、異常気象はもういいですかね?それは未来にとっての日常になるから、それを基本として捉えた対策に切り替えるべきであるという話ですね。
防災編の方ですけども、自民党の石破さんが出てきて防災省に関しての話をしていましたね。私もそれに同調して作るべきと考えている者ですけど、現状の石破さんの考えだけでは足りませんね。
確かに避難勧告や誘導等の情報や行動に関しての統一化に災害後の対策に関して束ねる省として必要でしょうけど、それだけでは防災としての意味合いがかなり低いと見るべきですね。
だからこその反対意見の多さかと思いますけど? それ以外にも現状の大臣の職務多重兼務や仕事や仕組みの在り方に関しても問題が多いのですが、今回はそこにはあまり触れないで防災省として必要な事を重点的に話していきますけども、各省庁制度において私が大事だと思うのはそうポンポン職員や幹部に大臣が変わりまくる状況はどうかと思いますけどね。
あと、基本的事務作業の多くをAIロボットに変わりを務めさせるように出来れば、より多くの専門家たちの集団で多くの対策や行動が行なえるようになるでしょうね。
さて防災省としての在り方と防災の新たな道に関しての話ですけども、防災を務めるにあたって避難や災害後の対策だけでは不十分過ぎますね。災害に対して避難も大事でしょうが、避難だけでは一次災害からは回避できても二次三次災害からはどうしても避けられない状況となり、それによる死傷者は必ず発生する事になるでしょう。
ここで言う一次災害というのは一般的な大雨によって起きる河川氾濫や土砂災害等の直接的に発生する災害の事です。そして二次三次災害というのは、その後に発生する避難所での生活や家の後片付けや街の復興に大量のゴミ問題等から来る精神的衛生的な災害の事を言います。
それに二次三次を無視し続ければ、それは避難生活を余儀なくされる人が無尽蔵に増え続ける事や国民の生活レベルの弱体に繋がって行く為にそれらを防ぐ事もかなり重要であると言えるでしょう。
命が仮に助かったとしても、それ以外の全てを失って基本的な生きる為の生活が出来ない状況となった時、その時命が助かって本当に良かったと思えますか? 先に見えるのは明日生きていられるかも分からない闇だけが続く状況になったとしても。
災害がこれだけ日常的になりつつあって政府や行政の対応もほとんど追いつかなくなっている状況では、必ず見捨てられる人は発生します。そんな人たちは、命があって良かったと全員言えるのでしょうかね?
黒い話ですけども要は、避難だけで全てを捨て去る防災ではなく、なるべくすべてを守れるような防災を考えて対策していく事こそ防災として必要な考え方ではないでしょうかね?
防衛省だって人の命最優先でその後の生きる為の食糧は全部いらないとか言えないでしょうしね。その後飢え死にする人だらけで何の為の防衛省?という話になりそうですし。ちなみにこの話は、食料の所も守るかどうかです。
だからこそ私がアイデアとして出す防災関連はほとんどが家や思い出の品等も含めた物等を守れるアイデアばかりなのです。その分必要予算等は大きいですが、度々被災して立て直し連発や買い替え連発に比べれば相当安上がりな話だと思いますけどね。
だからこそ必要なのは、避難に関してだけでなく、どうやって災害の発生を防いでいく又は力を削減できるのかの話です。
家や建物単体から市区町村全体までも守っていけるような考え方での防災をしていく必要があるという事です。それに最近の大雨災害においてはゲリラ豪雨と呼ばれるような突発的な局所集中災害も度々起きていますし、これに対して避難をどうするかというのは難しい話があるでしょうね。
毎回逃げまくるというのは常にそれを警戒して日常の平穏が脅かされ続けるという心理負担になりかねませんし、逃げ遅れる人や気付き遅れる人は必ず発生しますから、避難だけというのは防災として意味が無い考えであると思います。
ゲリラ豪雨等での浸水被害は単に街の排水能力が不足している話ですし、川が氾濫して津波が押し寄せるのは防波堤や堤防ではもはや機能しなくなってきたという話です。それに台風に関しても今回は逆方向だったからと片付けていますが、普通に海外でも最強クラスと言われるような台風が日本にやってきたらその比ではないでしょうね。
それが普通のコースで普通に直撃だったとしても今回とは比べるまでもない多大な被害を巻き起こすはずでしょう。台風に関しては、物理的に強固な壁で風そのものを防ぐか地下にもぐってしまえば被害は最小限に抑えられるでしょうね。
もちろん災害が発生する時や発生した後の行動をする事も必要ですけど、基本的に常時の行動でやる事は避難行動等の確認や訓練等に情報の統一化なども必要ですが、基本的な人だけでなく物や家等の建物もいかにして守れるかという事を考えて対策に当たっていく事でしょうね。
災害自体から守れるもしくはその災害を人的被害の発生しない程度に抑えられるのであれば、避難行動にまでさせる必要は無くなりますからね。
あと避難に対して言える事ですが、防災無線やサイレン等は現状ほとんど意味が無い状況になっている事が多いので、別の方法対策を考え出すべきですね。私の所でも窓全開で周りの騒音が少ない状況でも99%聞こえませんし。だからたまに避難訓練と言う辺りまで聞こえて、あと全部聞こえないから無視している状況ですし。
方法として考えられるのは、個別住宅等では家の基本設備の1つとして取り付け義務にするとか、マンション等の集合住宅やビルなどの複合施設等ではそれ単体で防災無線等が通るようにするなどの対策によって、大雨や災害に騒音等で緊急放送が聞こえなくなる事の無いように出来るでしょうね。
その上で避難として有効なのはやはり地下通路(歩道)+地下水路の組み合わせでしょうかね。災害時の地上は危険だらけになりますから、地下から安全に避難できる環境作りがこれからの災害対策の避難方法として必要になってくるでしょうね。
大事な事は被災する可能性のある人が被害を受けないようにする対策の環境構築です。この被害というのは人命的にも住む場所や所持物等も含まれます。
今までの防災は人命だけだったから、二次三次での被害が多く発生していたのです。それを無視して防災というのはおかしいです。大事なのは人命だけですか?古来より日本には物などにも思いや心が宿るとして大事にされてきましたけど、その心は既に忘れ去ってしまったのですか? 思い出などはそんな簡単に捨て去れるほど軽い物だったのですか? そうでないのならそれらも含めて守れるように変えて行くべきです。
その為にもそれらを専門として扱える省庁が未来の日本には必要だという考えです。本当の所では私の考え方でなければ防災としての意味はあまり無いのでしょうけど。
「人命だけでは防災とは言えない。心も救えなくては、防災ではない」
それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
たかじん委員会~終了~防災省