旧252回 人の命の犠牲or生贄の下に成り立つ平和は偽りの平和である !閲覧危険!
前回の話で戦争を行なわなくても出てくる犠牲があると告げましたが、その1番の代表例はなんだと思いますか?(北朝鮮問題) 日本ファーストやアメリカファーストで忘れられがちでしょうが、現在北朝鮮に住んでいて満足な生活環境を与えられずに飢えで苦しむ人々です。この北朝鮮問題を長引かせれば長引かせるほどこの人達は犠牲になり、日本やアメリカのわずかな平和の代償にこの人達が生贄として捧げられて偽りの平和が成り立っている事を考えた事はありますか?
さらには独裁国家で締めつけられて自由がほとんど与えられない北朝鮮の人々もこの問題が続く限りは犠牲(生贄)として有り続ける事を考えた事はありますか?
日本が戦争に巻き込まれないで済むなら、北朝鮮の平和を望む人達はいくらでも犠牲にしてよいという考えなのでしたら、それは偽善者の平和論ですね。
「戦争は絶対にしてはいけない。戦争をすれば多くの人が悲しい思いをする事になるから」この言葉自体には賛成ですが、時と場合によると私は付け足したいですね。なぜなら、今のこの北朝鮮問題は戦争をせずにただの平和的な話し合いで解決へと考えれば、途方もない時間が掛かり、その間にいくつも緊張状態が高まったり不用意な犠牲が発生する可能性が生まれるでしょう。そしてその間もずっと北朝鮮の人々は犠牲(生贄)であり続けらされるのです。日本の平和を守る為の犠牲(生贄)として。
これを聞かされると、大体の人は今のこの平和が偽りの平和であるかを痛感できるのではないでしょうか? この北朝鮮問題に限って言えば、あの独裁政権が続く限りはたぶん永遠的に犠牲を発生させ続ける事になるでしょう。そして皆さんが望む戦争をしない話し合いでの解決では、北朝鮮に住む現在苦しむ人達には犠牲(生贄)になってもらう事を前提にしなければならない状況と言う事を理解できるでしょうか?
話し合いでは時間が掛かるし、そもそも北朝鮮は約束を守らない国で問題解決の為の最低ラインも世界やアメリカの基準と全く異なり相容れない状況で、それでの解決にはどれほどの時間が掛かるのでしょうか?少なくとも現在北朝鮮で助けを求める人々は確実に犠牲にしなければならないでしょうね。日本やアメリカの平和の為に犠牲(生贄)になってくださいという意味が戦争を起こさずに話し合いで解決という言葉に含まれているとしたら、あなたはそれでも易々とその発言を口に出来ますか?
そしてこれは国際社会全体に対しても言える事である。現在助けを求める人々がいて、それを簡単に救う方法があるのに、国際法でがんじがらめで動けない状態でその人達を犠牲(生贄)にして得る平和が国際社会としての秩序というのなら、私はそれに断固否定をする。
救う方法があるのに国家間や国内の問題で片づけてその人達を見捨てる事で平和を維持するというのでは、結果的にそれは偽善的な平和で偽りの平和であるとしか言えないだろう。
誰かの命を犠牲にしてまで得る平和に何の意味があるのか?それも救える可能性のある命を犠牲にする事で。
結果その事で世界が真に平和にたどり着く事を阻害する要因にしかなりえぬことになぜ気付けないのか? 国際社会として守りたい平和はただの偽善で偽りの平和という事だろうか?
だとしたら、そんな仕組みは全て狂っていると私は考える。犠牲を求めれば次なる不幸の連鎖を止める事は出来なくなるというのに、なぜそれに気付けないのか?それとも規模が大きくなりすぎて犠牲は仕方の無い事と言う事だろうか?
つまり自分達に被害が及ばなければ他の誰が何人犠牲になろうが構わないというのが国際社会としての平和の秩序なのかもしれないな。そして国際社会の中に犠牲が出る方向に事を運ぶ奴らが混じっているからこその乱れなのかもしれないな。
そしてこの犠牲による平和の維持を今も行ない続けている国は多い。日本もそうだろう?日本の平和を維持する為に沖縄全体を犠牲(ついでにいくつかの本島含むアメリカ軍基地周辺の県など)にして日本の平和と安全をアメリカに守ってもらっている。その中で何人が犠牲になろうとも日本全体の平和と安全を確保する為に必要な犠牲(生贄)であると日本政府は言い続けているのだから。
アメリカでもこれまでは、新しい移民達の平和を守る為に古くからいるアメリカ人達(かなり古代にまで遡れば、この人達も移民だが)を犠牲にしてアメリカを維持しようとしたり、中東などのイスラム圏の国々でも少数派を犠牲にする事で国をまとめようとしたりして問題を引き起こしている。
平和を得ようとするために犠牲を求める行為は人種差別にも繋がり、問題や戦争の引き金にもなりかねないというのに、最も手軽な平和の為の犠牲を求めているから世界に争いが無くならないのである。
犠牲にされる側は堪った物じゃないからな。それが国であれば国に、世界であれば世界に対して敵対状況となるだろう。偽りの平和を求めれば、結局その偽りの平和すらも築く事が出来なくなるのだ。
だから言いたい。戦争の無い平和を維持する為に犠牲(生贄)を求める行為は、本当の平和に繋げられると思っているのですか?とね。
結局それは誰もが望む平和の形ではなく、どこかの国々が勝手に望む形の平和でしかないのではないのか?とね。それが今の日本の多くの国民達が願う勝手な日本ファーストの平和論でしかないと私は思っているのだ。
そもそも犠牲や生贄ありきの平和の話はいつの時代ですか?と軽く問いただしたいですね。何世紀前いや紀元前のそのまた遥か昔の時代の話ではないでしょうか?
それともそれが文化としてずっと生き続けてきたという事ですかね? では仕方ないのかもしれませんね?本当の平和の求め方を知らない無知な人達が現在世界の平和を守ろうとしているというおかしな状況なのですから。
そして気付く事も出来ないでしょう?資本主義と言う主義が常に誰かしらの犠牲が無ければ存在しえない主義である事と、それ以外の良い道が無い事実の元では、真の世界平和になど一生賭けてもたどり着く事は出来ないのです。全ての前提が犠牲(生贄)ありきで形作られているからです。
とは言え何の犠牲も無く全てを平和に出来るかといえばそれもまた無理でしょう。しかしここで言う犠牲とは平和を望む人の命ではなく、時間や平和を望まない人の命ですね。それに今後何かしらで戦争が起きて大量の人の命が賭けられた時には、私はより多くの人の命を助ける為には、普通では考えられない様な行動を起こす必要があるとも言っておきます。慎重に戦う事によって助かる命と助からない命を比べてより多くの人を助けられる方法を取られる人が必要なのです。
話を戻してこの北朝鮮問題では、あの独裁者がミサイル乱発や核開発をして国の財政を圧迫させないように出来なければ、救える命も救えないという犠牲の下の平和にしかなりえない事になります。そしてその解決方法は、もとい北朝鮮の苦しむ人達を救う為にはあの悪政独裁者を何らかの形で打倒できねば何も解決へと導けないでしょう。
打倒は直接武力だけではない、自滅を誘っても良いし、はたまた苦しむ国民を一時丸ごと別の場所へ移して国をスッカスカにして潰すというやり方も可能。人の命を守るというある方法で国際社会一丸となって動ければ可能。戦争せずに話し合いの延長戦も無く問題消滅へ向ける事が可能。
私は世界の破壊者で闇魔導士である。だから様々な方法の世界の歪みや間違いの破壊と決して明るくない闇に属するような魔法で再生や新たに創造する力に長けている。 そして前に話した自由主義は犠牲(生贄)を求めない主義である。(自分からなりたい奴はともかく)
それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
犠牲(生贄)~終了~偽りの平和