旧133回 忘れ去られた事故について 病院へのタクシー突っ込み事件
それでは本題の前説に入るが、最近目白押しなニュースが年末だというのに入りまくって、このもしかしたらテロに近いかもしれない事件がおざなりで済まされるというのは少々疑問があったのでいろいろ話していく。正確には事故 私としては事件という見方が強い為、この場では事件として以後表記する。 ちなみにテロかもしれないという感じに発言したのは、政治的信条や発言は無いけども無差別殺人と化しているからそう言っている。
この事件は、単純に言い表すと病院にタクシーが猛スピードで突っ込んで、即座に3人が亡くなった痛ましい事件である。報道などで語られていたことは、アクセルとブレーキの踏み間違いによる過失運転事故という見方になっている。そして65歳以上では無かった為高齢者運転によるものではないという判断で締めているが、普通の高齢者判断と運転時の高齢者判断を一緒にしない方が良いと私は提唱させてもらう。それに少し前までは、高齢者といえば還暦である60歳以上の事を指していたというのに、世間の高齢化社会のあおりを受けて高齢者の年齢を変えて判断していくのはどうかと思う。
別件ではあるのだが、この高齢者の判断基準である年齢を引き上げた行為というのは、少子高齢化社会での比率の割合を低く偽る為の改変ではないのかと疑いを持っている。それでこういう事にまで一緒くたで見られる事には深く浅はかな浅慮で決めた事ではないのかと思ってしまう。ただ年金の支給年齢を引き上げたかっただけかもしれないが。
運転時の年齢判断基準は体の衰え具合(平均的)で決まっているものなので、60歳以上であれば高齢者運転として扱うべき事柄である。現に報道されている内容が真である場合、踏み間違いという高齢者によく起こされる事柄だというのに、それぐらいの年代だというのに高齢者運転として扱わないというのは少しおかしい気がする。
ただこれが普通(普通であっても困るが)に高齢者による踏み間違いの過失運転事故であったならば、ここまで取り上げたりはしない。 この件に関しては事故として扱うには不自然な点がありすぎるという事だ。だから私はこれを事件ではないのかと疑いを持っている。
まず問題として挙がっているのが、なぜ病院への道を行ったのか?という事についてだ。その事件当時タクシー内は客が居ない状態だった。そして少し道を曲がれば客がまだ多くいるような道へ行くことが出来たというのに、客が居る可能性が少ない道へとわざわざ入って行っているという点だ。これはタクシーという商売をしている人にとっては不自然な行為ではないだろうか? この人は大ベテランだというのに、わざわざ人通りが少ない道に行って仕事をしようとするものだろうか?
隠された穴場があったり、誰かに来てほしいと注文された場合などは除かれるだろうが、そういった形跡はなかったと見られている。なら?仕事をしにくい場所へ行って無駄な時間を過ごすような真似を大ベテランがするのだろうか?
次の不自然な点は、病院への最後の十字路で急加速をした点についてだ。報道ではここで踏み間違い急発進してそのままという事になっているのだが、この付近に来る前の段階で一度トイレ休憩をし公園で車を止められているという事だ。つまりこの時点では正確な操作が出来ていたという事だ。
なのに、なぜこの場では踏み間違えてしまったのだろうか?さらに言えばブレーキの操作をしたと発言しているが、その跡らしきものは見つからなかったとなっているし、サイドブレーキなどのあらゆる手段をもってして止めようとはしていなかった事も不自然な点である。この運転者は特に持病やその時の異常などは無かったというふうに見られているし、ましてや慌てていたとしてもブレーキを掛けようと判断できる思考がそのときにあったのであれば、サイドブレーキなどの方法も考えられたであろうに、それを使用していなかった。(大ベテランだというのに)
また報道でも挙げられていたタクシー運転者であれば人命を大事にするというのに、ブレーキが利かないから突っ込むというのは初心者ですか?と言いたくなる事柄だ。あの場所では左右には壁もあったし周りには人がいない場所で車をぶつけて止めるという手段も残されていたというのに、それを全く行っていなかったという事もただの事故としては不自然すぎる点である。(まるでそこは目的地ではないかのような判断で・・・)
さらに極めつけの不自然な点が、そのまま直進をして病院に突っ込んでいればあれだけの大惨事にはならなかったというのに、わざわざ人が多くいる場所へ自ら飛び込んで行ったという点だ。(まるで人の死を望んでいるかのように)
病院へ突っ込んだという感じで報道されているのだが、詳しく解説していた番組では直線のままで行けば病院の壁に突っ込んだという事になるらしい。(道路の直線状が壁であったという事)
なのに、この時はそれを避ける行動が出来た。(今までそんな行動はしてこなかったというのに)さらに病院の反対側の向き(突っ込んだ側とは反対側)には、道路が続いている状況で人が居なくて被害を最小限にできる状況だったというのに、なぜ人が多くいる病院の窓側へとハンドルを切ってしまったのだろう?
混乱をした上での過失運転というには出来すぎている内容である。さらに言えば、突撃の直前かその前の段階でクラクションなどを押して危険を知らせる事も出来たというのにそれをしなかったというのもおかしい。
今までは報道から見たことに私の意見を交えて解説していったものだが、ここからは不用意には発言できない(TV側では)事を私が話していく。それは、これは全て無差別殺傷事件を考えたうえでの凶行ではなかったのか?という事だ。つまり最初から誰かを轢き殺す(又は撥ね殺す)前提で運転をして病院に突っ込んだのではないのか?という事だ。この考えで行くと全てのつじつまがうまく絡み合ってしまう。わざわざ人通りが少ない道を選んだのも、病院よりも前で急加速をして直進をする事も、さらに激突直前で人が多くいるだろう場所へとハンドルを傾けたことにまですべて納得がいく事になる。
初めから病院狙いであれば、その道を行くだろうし急加速は人を殺せる速度まで上げる行為とすれば納得がいく。さらにその場所へ行くには偶然では難しい車1台分がようやく通れる空間だったというのに、そこに吸い込まれるように通過して病院の窓に突っ込めたというのも、初めから突っ込む気で運転できなければかなり難しいからだ。偶然できなくもないのだが、それほどの状況下で病院側へハンドルを切るというのはおかしすぎるので考えとしては難しい。
さらにクラクション等で周りに危険を知らせなかった事も、これから殺しに行く相手に危険を知らせる事等全く意味の無い行為であるからだ。 だから私はこの件を無差別大量殺人事件だと言っているのだ。
そしてその凶行を隠すために、過失運転になるような供述をして惑わしているのではないのかと思う。初めから言っているがこれは私の推察による内容だ。不自然な点が多すぎるという元においてのな。
それにこの件で殺された側の家族が過失運転で片づけられたらかわいそうすぎるだろう。目の前で両親を奪われて、その奪った人は過失でしたすみませんで、7年以下で普通の生活が出来るとか、被害少女からしたら憎しみものだろうな。
それにこういう重大な件について、過失運転で片づけて軽く見るというのは、法律が甘すぎる又は犯罪者を守り被害者を殺す法律であるという事は避けられない事実という事になるだろう。
私は以前からこういう事について予言を出していたというのに、日本は甘く考えすぎているのだ。もっと現実を見て考えるべきなのではなかろうか?
もしこの家族を突然奪われた少女が身寄りも無く孤児になるような出来事になってしまったとして誰も救えないというような状況であれば、本当に法律は全く機能していない犯罪者保護の国だといえるだろう。それに法律では被害者を救う事は出来ない。そして救う必要もない。だから被害者がおざなり化や捨て置かれていくのだ。 そして犯罪者に対しては更生化をさせるという大義名分で、大切に扱っていく。
これでいいのか?この殺した者勝ちの間違った法律の有り方のままで?
だから私は宣言していたでしょう?過失運転に見せかけた殺人事件が横行すると。今までの被害者達の辛さを軽んじた結果が更なる被害を連鎖させていく。このまま黙って見過ごしていきますか?ならばあなたも殺人者の片棒を担いでいることになりますがいいのですね? 嫌ならばこういう話を少しでも多くの人に広めていき、この間違った世の中を改変させていく流れを作り出すべきでしょう。 これから未来の被害者を出していかないためにも。
それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
病院へのタクシー突っ込み~終了~無差別大量殺人事件